中央市場について

過去写真
昭和21年、外地からの引揚者によって結成され、地元有志の方々のお力添えで現在地にバラックの仮店舗が建てられ、其の小間をそれぞれ借用して当初は小樽中央マーケットと言う名称のもとに、発足したのが当市場の生い立ちであります。

当該地区は市の都市計画による処の火災予防対策上緑地地帯として策定されて居り、其の内此の建設物は取壊され、何れかへ移転せざるを得ない状況下にあって、吾々組合員は家族共々其の不安を背負い乍ら日々を送って居ったのであります。

組合員の窮情を察した当時の組合会長秋田民武氏が胸に決するものを抱き当時の市長でありました安達与五郎氏の基へ日参致しまして、引揚者組合員の苦哀を説々と述べ是非当該地に吾々の永久使用を認めて頂きたいと、声涙共に訴え懇願いたしました結果、其の熱意に安達市長も強くうたれ吾々の願いを認めざるを得なくなり其の存続が許可されたのであります。

幸い許可を受けた以上は此処に永久的な建物を建てる可く、早速其の準備に取り掛かったのであります。

当時、裸一貫の吾々にとっては全く夢のような話でありました。それでも全員が其の願望を達せんがために歯を食い縛って、此の償還に見合う毎日の日掛積立てに汗を流したのであります。

昭和28年5月第一期工事(第一棟)に着手、昭和31年12月全棟完成。

完成当時は下駄バキ市場の第一号として、全道的にも大きな反響を呼び、又大変珍しがられて各方面の関係者が続々と見学視察に来られ、此れに見習った建物が其の後全道に幾つかが建てられたと聞いて居るのであります。

当初の商圏は市内の消費者の方を初め南は倶知安、岩内から蘭越遠くは長万部、瀬棚方面まで、又北は岩見沢、富良野や芦別、砂川方面に至るまで非常に広範囲に亘って当時のガンガン部隊の方々に新鮮で豊富な品揃えが定評になって、沢山の方々よりお買求めを頂いたのでありますが、現在は其ような買出的な購買はなく一般的な消費者の方が相手となって居ります。

「わが市場の道のりと将来」より

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